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松岡修造とウィンブルドンテニス [ウィンブルドンテニスの歴史]

松岡修造というと世代によっては、暑苦しい?
スポーツコメンテーターとしか思わない人も多いかもしれません。

実際、今の大学生くらいだと松岡修造の現役時代をリアルタイムで
知らないので、元テニス選手だったことさえ知らない人もいます。

松岡修造のテニスのキャリアで一番の出来事は
1996年のウィンブルドンテニスでベスト8に勝ち進んだことでしょう。

順々決勝で当時の世界ランク1位、男子プロテニス史上最強といわれた
ビート・サンプラスと対戦した時の雄姿は未だに鮮明に覚えています。

対戦相手のビート・サンプラスが試合前「松岡のサーブは要注意」と
警戒していました。

常時200キロは出ていた松岡のサーブは世界トップレベルでした。

実際、ベスト8まで進んだウィンブルドン大会で最速のスピードを記録し、
地元のTV局に”屈指のビッグサーバー”と称賛されました。

ただ、本人も自覚していたようにボレーが下手でしたので、
当時の男子トッププロの主流であったサーブ&ボレーヤーにはなれませんでした。

もし、ボレーが得意であれば
ウィンブルドンでベスト8以上に行けたでしょうし、

世界ランク最高で46位でしたが、20位以内には
ランク出来たのではないかと思います。

その松岡修造に小学生時代に見出された錦織圭選手が、
ベスト8以上に進むことが出来るのか注目したいと思います。
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ウィンブルドンテニス男子シングルス優勝者一覧と最近の傾向 [ウィンブルドンテニスの歴史]

ウィンブルドンテニスの男子シングルス優勝者を年代ごとに
一覧にしてみました。

10年単位で見てみると、なかなか興味深い傾向が見えてきます。

■2010年代
2010年代に入ってから、連続優勝者は出ていません。
ナダルやフェデラーも全盛期は過ぎていますので、

トップレベルの選手なら誰が優勝してもおかしくない
戦国時代といえそうです。

願わくば、この中に錦織圭が割って入ってきて欲しいものです。

2010年 ラファエル・ナダル(スペイン)
2011年 ノバク・ショコビッチ(クロアチア)
2012年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2013年 アンディ・マリー(イギリス)

■2000年代
2000年代は、10回のうち6回優勝したロジャー・フェデラーの黄金期。

ロジャー・フェデラーは、ピート・サンプラスのようなサーブ&ボレーヤー
ではなく、ストローク主体でバックハンドスライスを多用するのが特長。

1990年代とは対照的にサーブ&ボレーヤーの優勝者は、2001年の
ゴラン・イワニセビッチのみ。

この年代から、男子プロでサーブ&ボレーヤーが激減したのが特徴的です。

2009年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2008年 ラファエル・ナダル(スペイン)
2007年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2006年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2005年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2004年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2003年 ロジャー・フェデラー(スイス)
2002年 レイトン・ヒューイット(オーストラリア)
2001年 ゴラン・イワニセビッチ(クロアチア)
2000年  ピート・サンプラス(アメリカ)

■1990年代
1990年代は10回のうち6回優勝したピート・サンプラスの黄金期。
また、プレースタイルでみるとストローカーは
92年ゴラン・イワニセビッチを下して優勝したアンドレ・アガシのみ。

ただ、アガシの場合、ストローカーといってもつなぐストローカーではなく
どんな強力なサーブも一発で仕留めることのできるリターンを中心とした
攻めるストローカーだからこそ優勝できたのだと思います。

1990年代のウィンブルドンはサーブ&ボレーヤーでないと 勝てないといわれた時代といえるでしょう。

1999年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1998年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1997年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1996年  リカルド・クライチェク(オランダ)
1995年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1994年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1993年  ピート・サンプラス(アメリカ)
1992年  アンドレ・アガシ(アメリカ)
1991年  ミヒャエル・シュティヒ(ドイツ)
1990年  ステファン・エドベリ(スウェーデン)


個人的にはサーブ&ボレーヤーVSストローカーの対戦が 一番面白いと思います。

ここ最近、サーブ&ボレーヤーが減り、ストローカー同士の
戦いばかりになり、一抹の寂しさを感じています。
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ウィンブルドンテニスだけは勝てなかったトップ選手たち [ウィンブルドンテニスの歴史]

プロテニスの4大トナーメントとしては

1月の全豪オープン、6月の全仏オープンとウィンブルドン(全英オープン)
9月の全米オープンの4つあります。

テニスを良く知らない人は全英オープンとウィンブルドンは別物と
思う人もいますが、全英オープンとはウィンブルドンテニスのことで、
全英オープンとはあまりいいません。

この4つタイトルの中で一番権威があり、実質上最高格のタイトルはウィンブルドンです

囲碁や将棋に例えれば、囲碁も将棋もタイトルは幾つもありますが
囲碁なら本因坊、将棋なら名人が一番格が高いというのと同じです。

男子プロテニスでは過去、全豪、全仏、全米の3つは優勝したのに
どうしてもウィンブルドンテニスだけは優勝できなかった
名選手は何人もいます。

古いところでは元世界ランキング1位のイワン・レンドル選手(チェコ→アメリカ)、同じく元世界ランキング1位のジム・クーリエ選手(アメリカ)らが知られています。

もっと極端なのは、同じ月に行われる全仏オープンを2連覇したのに
ウィンブルドンでは3回戦が最高だったセルジ・ブルゲラ選手(スペイン)です。

どうして他の全豪・全仏・全米で優勝できるのにウィンブルドンテニスだけ無縁という
ことが起きるのかというと最大の理由はコートの材質の違いにあります。

全豪と全米はハードコート、全仏はクレーコート(土のコート)に対して
ウィンブルドンは芝生です。

コートが芝生のため、ウィンブルドンでは球が滑りやすいためサーブや
ストロークの威力が増すため、長いラリー(打ち合い)になりにくく

ビッグサーバーやネットプレーヤーのような一発で仕留める
プレースタイルの選手が優位になるため、

全仏・全米・全豪では通用した選手がウィンブルドンテニス
だけは勝てないということになるのです。

先日終わった全仏オープンで優勝したナダル選手は、ウィンブルドン
でも優勝したことがあります。

ウィンブルドンテニス2014でもナダル選手は優勝候補の筆頭です。

マドリード・オープン決勝でナダル選手に善戦したというより、
怪我がなければ勝てた錦織選手がどこまで勝ち進めることが

できるのかがウィンブルドンテニス2014の最大の見所です。
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